喜谷実母散の歴史 ①

2022年7月21日

喜谷実母散の歴史は江戸時代に遡ります。

喜谷藤兵衛光長というものが元禄4年(1691年)19歳の時に志を起こして近江の国から江戸に上京しました。
元禄7年(1694年)22歳の時に江戸楓河岸(モミジカシ)、京橋中橋大鋸町(オガチョオ)に薪炭の店を開店し出身地の名にちなんで「近江屋」と号しました。
藤兵衛光長は結婚しましたが男子がいなかったので婿養子をとり、この養子である市郎右衛門が薪炭業を継いでいました。

あるとき、たまたま長崎にいた実弟が医生を紹介してきました。
この医生は、ある訴訟事件のために江戸に出て来ましたが、訴訟がなかなか解決せず長期滞在となり、お金に困っていました。
市郎右衛門はこれを憐れんで家に長いこと泊めてあげていました。

医生は訴訟事件が解決して家に帰るとき、長期の滞在と厚遇のお礼にと三冊の書物、「産辯」、「本法加減諸方」、および「妊娠禁食考」を伝授して帰りました。


市郎右衛門はこの書に記された薬を「実母散」と命名し、薪炭本業のかたわらこれを調整して販売を始めました。これが「喜谷実母散本舗」のはじまりです。
喜谷実母散の販売が順調になったため市郎右衛門は本業の薪炭の業をたたんで売薬を本業とすることになりました。これが正徳3年(1713年)のことです。

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