江戸時代のお薬事情

2023年8月29日

江戸時代の庶民がさまざまな病気にどのように対応していたのか調べてみました。

江戸時代、医師にかかり治療を受けられるのは身分の高い人だけだったので、庶民は「自分の病気は自分で治す」という生活意識が高かったそうです。

もともと生薬を刻んだり、手を加えて薬を作ったりしたのは医師でした。医師が診療とは別に、売薬を手広く行っていた中に婦人の薬も多かったようです。
医師に代わって生薬屋(きぐすりや)が薬を販売するようになると、一般の人も気軽に薬を利用できるようになりました。女性の症状に対応する売薬も多く存在し、多くの人に必要とされていました。

売薬の種類により値段の幅は広く、一服60~100文くらいだったようです。薬の内容によっては朝鮮人参や熊胆など庶民には全く手が届かない高価な薬もありました。
一般市民が買い求めた売薬は現在の貨幣価値に換算するといくらなのか知りたいところですが、長い江戸時代の間に貨幣の価値が変動しているため正確なところはわかりませんでした。

 江戸時代後期に「江戸買物独案内」という買い物のガイドブックが刊行されました。そのなかに江戸の売薬で有名なものとして「錦袋圓」「實母散」「清婦湯」「神効丸」「五臓圓」などの記載があります。売薬は200種類以上が発売されていたようで庶民の生活の中に溶け込んでいた様子が伺えます。

一方で、江戸時代は医者や薬よりも、灸や鍼が身近な治療であり、どの家にも艾が常備され自分で灸をすえていました。温泉も人気で有馬温泉や草津温泉などの湯治場が栄えました。
また多くの人は、そもそも病気になって苦しい思いをすることを考えたら元気なうちに予防をしたほうがよいとして、養生に務めていたようです。

 1712年に刊行された貝原益軒(かいばらえきけん)の書「養生訓」には、自主的な健康管理の在り方が記されています。バランスのとれた食事、適度な運動、良質の睡眠、ストレスを避ける、心穏やかに、小さな楽しみを大切に暮らすことが大事であると言っています。江戸時代に市井の人々が行っていた養生の秘訣が、経済や医療が発達した現代の私たちにとっても心に留めておくべきことばかりで、感慨深い気持ちがしました。

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