喜谷実母散の歴史 ②

2022年7月21日

喜谷実母散の創業については、江戸南町奉行を務めた根岸備前守鎮衛(やすもり)(1737~1815年)が「耳袋」に「実母散起立の事」という記事を書いています。
「耳袋」は鎮衛が天明年間から文化年間にかけて30年余りにわたって、古老の言い伝えや自身が聞き知った面白い世間話、事件などを書き留めた書です。
実母散創業の話は喜谷家所蔵の「家譜詳録」に基づいて記載したものです。
このような貴重な資料はその後の長い年月の間に火災や震災などに遭遇して失われてしまったものも多いとのことです。

明治時代になり、商標登録制ができたときに喜谷実母散は商標登録を申請し、医薬品としては一番古い登録(明治17年、登録番号16番)となりました。
喜谷実母散は明治8年頃より海外(清国、台湾、豪州、朝鮮)に輸出されていたため、4か国語で記された珍しい効能書が今も残されています。

創業当時、実母散本舗の敷地の西の端に竹が植えられていたので、世間の人はこの竹藪を店の目印としていました。
もともとは薪屋の店先に植わっていたものであったようです。
実母散のパッケージには竹の意匠が描かれていますがこのような由来があるのです。

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